砂礫のビーチ、七里御浜海岸の玉砂利はどこから来た

東紀州にはウミガメがいた

紀伊半島を奈良吉野から南下し、川上村、上北山村、下北山村、北山村、と間違わずにはいられない似たような名前の村々を抜け、熊野川に沿って走ると海にたどり着く。熊野三山の一つ、熊野速玉大社があるまち新宮市だ。海に沿って新宮市の北が紀宝町、その北が御浜町だ。このあたりを東紀州と呼ぶらしい。青い海が非常に鮮やかだ。

紀宝町には海岸通りにウミガメ公園なる施設があり、アオウミガメとアカウミガメが5-6頭いた。かつてはこの浜でもウミガメが産卵していたらしい。

玉砂利の海岸

紀宝町の北隣りが御浜町で、七里御浜海岸(しちりみはまかいがん)という名前の通り七里にわたって(実際は25KMほどらしいが)海岸が続いている。ここの海岸は砂浜ではなく、岸壁でもなく、玉砂利だ。

注:ティラノサウルスは持ち込みです。

石の種類をさぐれば、どこから来たかがわかる。七里御浜海岸の石は、遠く熊野川から運ばれてきた石だそうだ。

そういえばかつて訪れた鳥取県の琴浦町の琴浦海岸も玉石海岸だった。サイズはもう少し大きかった。

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自然を愛するジオグラファー、ジオトラベラー。A naturelover, a geotraveller and a bicycle lover.

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