環瀬戸内海という文化・経済圏

環瀬戸内海の諸藩

瀬戸大橋の四国側のふもとにある「瀬戸大橋記念館」。ここの巨大ジオラマを見てあらためて思った。瀬戸内海を中心に四国と中国の土地の起伏が一目瞭然のジオラマなのだが、香川県(讃岐)と岡山県(吉備)は瀬戸内海を挟んですぐの距離で、船を使えば移動は容易だ。それに対して香川県(讃岐)と徳島県(阿波)は讃岐山脈が壁になっていて、移動は簡単ではなさそうだ。

我々はどうしても高速道路や線路やトンネルのインフラが敷かれている時代の目線でみてしまうが、江戸時代以前のそれらがなかった時代を想像すると、日本地図の見方が変わる。四国という四県(藩)なんて括りよりも、環瀬戸内海の諸藩(高松藩、岡山藩、伊予松山藩など)という括りの方が文化圏、経済圏としての結びつきは強かったであろう。そして津々浦々に湊町があったのだろう。

そういう目線で香川の地図を眺めると、宇多津、多度津といった津の地名や、漁港がたくさん目につく。

瀬戸内海には瀬戸がたくさん

瀬戸というのは陸地が迫った海峡のことをいうらしい。瀬戸内海には瀬戸がたくさんある。明石海峡や鳴門海峡、来島海峡などはもちろん、三つの橋がかかっているところも海峡だ。海峡と海峡の間には海が広がる灘がある。このジグザグの並びもフィリピン海プレートの潜り込みの結果らしい。

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ジオトラベラー A geotraveller.

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